Starlings Of The Slipstream

今日もどうもありがとう ほんとにいい日だった

2014年年間ベスト(音楽)

とりあえず簡易更新。

ライブに足を運ぶことは減ったけれども、ボブ・ディランの来日公演、達郎さんのマニアックツアー及びタイムラインのフリー・ライヴを見れたのは本当に良かった。ディランは御年70を越えますます"グルーヴィ"だったし、達郎さんは例年のツアーの制約から解き離れたれ過去の自分と向き合い(1979年以前との邂逅)、かつ静かに盟友への祈りを捧げ、タイムラインは以前の来日公演とは打って変わって素晴らしいパフォーマンスだった。

というわけで例年通りニール・ヤングCSN&YCSNY 1974』での"渚にて"の素晴らしさ!)とディランと岡村ちゃんと達郎さんばかり聴き、すっかりリスナーとしての同時代性を喪失しつつありますが、ざっくりと今年の年間ベストをば。


【Best Album in 2014】

10. Yagya『 Will I Dream During The Process? (Deepchord Redesigns)』

9. MOTOHARU SANO with THE HEARTLAND『LIVE "VISITORS"』

8. Various『MY LOVE IS UNDERGROUND』

7. 森は生きている『グッド・ナイト』

6. Run The Jewels『RTJ2』

5. Bob Dylan and The Band『The Basement Tapes RAW: The Bootleg Series Vol. 11』

4. Stephen Malkmus and the Jicks『Wig Out at Jagbags』

3. PUNPEE『P's Unrealesed Mash Ups』

2. Ariel Pink『Pom Pom』

1. Aphex Twin『Syro』

いつも通り編集盤及び過去の未発表等が多いけれどまぁ個人の年間ベストなんて肩肘張らずこれ位の気楽さがちょうど良いと思う次第で……D様は迷った結果、国内盤リリースが来年なので来年にカウントしようかなと。

さて、来年は達郎さんの40周年と岡村ちゃんのツアーに参加できればいいと思っております(進歩なし)。皆様良いお年をお迎えください。

日記(10月14日)

夢で逢えたら

http://www.sonymusic.co.jp/artist/EiichiOhtaki/info/445751

葬儀で流れたと好事家達の間で噂になっていた師匠のヴァージョンが、死後1年経たないスパンで発売されるとは思いもしなかった。それはもう佐倉千代よろしくベッドの上を転げまわって頭を打ちつけるほどに嬉しい事ではあるが、そのような貴重な音源が死後に発売されるベスト盤(オールタイム・ベストは初)に収録され、それを意気揚々と初回盤を買うことに加担するのは、どうも何か大きなものに取り込まれているようでいけ好かない部分もある。トラックリストは未だ"夢で逢えたら"以外は不明だけど(初回にカラオケが付くらしいから念願の"Blue Valentine's Day"のカラオケは入りそう)、"青空のように"のシングルヴァージョンとか、新宿厚生年金会館で歌った"風立ちぬ"のセルフカバー音源とか、ヘッドフォンコンサートの音源とか……はどうせ小出しにしてくるんでしょうね。分かってますよ。

また、CD BOOK第二弾も出るとのことで、こちらも現在のところ収録作品は未公開。大滝スレを覗いてみると割と皆さん超・現実的な予想をしていて、『Snow Time("冬のリビエラ"のセルフカバーを収録)』、『B-each Time Long(隠れた超名盤)』という廃盤CDが目玉という感じ(同じCDの記念盤がたくさん出るのに皆が待ち望むCDが再発されないのがナイアガラだからね)。そうなると前回の『夢で逢えたら/シリア・ポール』、『DEBUT』よりも数段見劣りするわけで……『Niagara Black Book』収録の『Debut Special』や幻のプロモ盤である『WELCOME TO THE NIAGARA WORLD』や『SUMMERTIME EACH TIME '84』など、今のうちは夢を見るだけ見ておこうと思うけれど、大滝さんがいない今その夢想すらも空虚に思える……

重力の虹

佐藤良明氏の「重力の虹の翻訳しかしてなかったから低収入で税金が還付された」という話を聞いた時点で絶対に中古では買わないと決め、1万円出して少しだけお釣りが返ってくる新品を買い少しづつ読んでいるが、普通に読めるという事実に困惑している。

Syro先生

身も蓋もない言い方をすればアンビエント・ワークス+ドラッグスだけれど、アンビエント期のテクスチャーがあり、かつ作品が整然としており、しかしそれは無邪気さの放棄を意味せず、リチャードおじさんの素の部分が見える作品を聴けたというのは、この10年というブランクを考えると割と奇跡に近いのではないか。(それ以前に、昨年のBOCのような退廃的な身振りが前面に出ていないというだけで、とてつもなく満足しているのだけれど)

2014年上半期ベスト

とにかくKELELAが圧倒的だった。岡村ちゃんとこいちゃんのアレは流石にそのまんま過ぎたから外したけどあのLIVE動画は良い。延期しまくったURの2作はまだ注文してすらないので下半期のお楽しみだ。わはは。

1.How to Dress Well – Words I Don’t Remember
2.Kelela – The High
3.SZA ft. Chance The Rapper - Child’s Play
4.Bok Bok ft. Kelela – Melba’s Call
5.MSC - シークレットサービス
6.Moiré – No Gravity
7.Millie & Andrea - Stage 2
8.Theo Parrish - 71st & Exchange Used To Be
9.FKA twigs - Two Weeks
10.YG & Blanco ft.DB Tha General – Block Party

次点
Palms Trax - Forever (Galcher Lustwerk Remix)

ベスト16

ブラジル対チリ

走るセレソンとは言え上手くいかない時は何をやっても上手くいかないというのがよく分かる試合だった。負けたら終わりという時期に差し掛かった今、開催国であることはもはやアドバンテージではなく、声援は脅迫と紙一重なのだろう。チリはGLと同じく一貫しており、勤勉であった。ブラジルの唯一のウィークポイントであるマルセロとルイスの裏を徹底的に狙い続け、攻撃の起点であるマルセロを右のイスラが封じる。フェルナンジーニョとグスタヴォは攻撃面での貢献が少なくオスカルが孤立し、真ん中は固すぎるので結局オスカルを飛ばしてロングボール頼みに。ネイマールが下りてくれば少しはボールが回ったかもしれないが、中央にメッシはおらず豚化したフレッジなのでそれもあまり怖くない。

チリは時計が進む時間はほとんど上手く行っていたが、サンチェス以外でボールをしっかり収められる選手がいなかったのと、戦術が通用する120分で相手を仕留められなかったのが敗因か。最後のジュリオセザールのアレはインテル3冠時代を彷彿とさせた。

オランダ対メキシコ

戦術RVPあるいはロッベンマルケスが統率する3バックは決定機を許さず守り切り、エースのドス・サントスの一閃で一度はベスト16の高い壁を超えたように見えたが、ファン・ハールはやはり凄かった。イレギュラーで設けられた後半30分の給水タイムが大きく、あそこで正確に指示が出せたお陰でシステム変更がスムーズに。しかし、最低限コーナーに持っていく=前がかりの状況でカウンター食らわないようにする、あの一番苦しい時間帯にそれを実践できるカイトの存在の大きさ。日なたから日なたに移っても、ポジションが目まぐるしく変わっても、90分間誰よりも走る、走る、走る。

メキシコ人の誰よりも勤勉であったカイトが取ったコーナーキックから、頭上のフライング・ダッチマンから位置を操作されたとしか思えないほどにメキシコ人は無言で道を空け、スナちゃまがそのゴールへと引かれた線が見えていたかのように鮮やかにブチ抜く。2日連続インテル3冠の功労者の活躍。もうほとんど夢見心地である。そして、これまではロッベンもデパイもメヒコのマーク2人+1人余らせるディフェンスでスペースなくて抜き切れなかったが、カイトが前に出たことで微妙にズレた結果としてロッベンがいつものアレ。あぁ今は2004年なのか2010年なのか。そのPKをスナちゃまでもロッベンでもなく、これまで序列が下がっていたフンテラ師匠が決めたのはこの先勝ち上がる事を考えると大きい。しかし何よりスナちゃまもゴール後はまずデヨングの所に行き、フンテラ師匠はフラッグにカンフーキック。これだよこれ!

どちらの試合も本当に面白かったし、全体を通すと敗戦チームの方が明らかに良い試合をしていたが、それが決して報いを受けるわけではないというフットボールの非情さをよく表していた試合だった。それにしても、敗戦した2チームともに完成度の高いお手本のような3バックだった。攻撃の時は広くワイドに開いて質の高いパスを前に入れ、守備の時は5バック気味で数的優位に立ってスペース潰し、その勤勉さのささやかな報酬としての少ないチャンスで確実に相手を仕留める。果たして日本がこれを出来るのだろうか。まぁ今の現状見るとアギーレよりミシャの方が合ってるんじゃないかと思ったりもする。アジアで苦戦しそうだけど。

帰宅部活動記録

幾度となく繰り返されてきた、ありふれた誤解を防ぐためにも、何よりも先んじて、これを高みから特権的に見下ろし、いま一度悪趣味な戯れを始めようとしているわけではないことを、まず断言せねばなるまい。そのように留保した上でようやく、帰宅部活動記録に向き合うということは、一つの作品を視聴することであると同時に、成熟とはなにかということを考えることでもあるということを高らかに宣言することが出来る。

一般的に言えば、成熟の対極には未熟が位置するであろうが、未熟であることと、成熟していないなにかであり続けることの間には、決定的な差異が存在する。ここで今新たに、未熟ではなく、成熟していないなにかであり続けることの困難さを、もはや指摘するまでもない。我々は、少なくともこの作品を視聴することで、成熟していないなにかであることとは一体どのようなことであるか、という問いを既に目にしているはずだからである。帰宅部活動記録は、多くの作品がほかでもなく一つの作品である以上なかば当然のように自らを成熟に至る直線に無防備に身を置くのに対して、大胆にもニヒリスティックな笑顔をこちらに向けながら、成熟から徹底的に距離を取り続けることを試みる。我々の目に映るその姿は、その思惑が何であるにせよ、いかにも非道徳的であり、幼児的であり、つまるところ、杜撰である。しかし、その杜撰さこそが、成熟から距離を取り続けるための数少ない方法であることを、”彼女ら”は身を持って証明している。そしてその杜撰さは、幾度と無く我々の手を止め、一つの答えを出すことを促すであろうが、その答えを保留し続けた結果として導かれたはずの到着地は、未熟とはほど遠いどこかであることに気付く。かくいう奇妙な視聴体験は、元より意識されたものか、それが意識されないあまりに過剰さを持ち得たのかは定かではないが、しかし、我々はその成熟していないなにかに触れたことに対する確かな充足を得ていることは、もはや言うまでもないであろう。

帰宅部活動記録は、成熟していないなにかで有り続けることのある種の権利を、その信念を貫き通すことによって、幸運にも持ち得ることが出来たのである。だからこそ、我々はその表層にある杜撰さを嘆くのではなく、ひとまずは拍手をもってこれを迎えねばならないはずなのである。

日記(3月30日)

2013年旧譜聴き直し

Vakula、Mazzy Star、Nick Cave辺りは年間ベスト級と断言したい出来だったが、何と言ってもGALCHER LUSTWERK『100% GALCHER』はここ数年聴いたmixの中でも5本の指に入るくらい良かった。

富野

富野由悠季監督が語る「アニメの専門化とリアリティの喪失」、そして『ガンダム Gのレコンギスタ』

引用元の本文構成とサイト名のカタカナ四文字は置いておくとして、私がアニメから少し離れてみようと思った理由、アニメへの懐疑心みたいなものを、富野が現場の目線から流暢に語ってくれている……あぁ……

中でも、「『THE ORIGIN』も『UC』も分からないって画はどこにもない。分かる、気持ちいい、大人が気持ちいい画を作ってどうする」という発言にはそうだそうだと何度も頷いた。所謂複雑であるがゆえに難解である作品を目の前にした時、人々は眼前の複雑さを置き去りにして、難解であることを理由にそれを切り捨てるわけであるが、そもそも重厚な視聴体験というものは、作品を観ることを通して自らの限界を素描しつつ、その外部に出ようとすることであり、その外部に出る行為にこそ快楽が宿るわけである。そうした前提のもとで、作品を複雑化する/しないことに対する問題意識、分かり易くすることの手前で留まるということ、ひいては映像作家が作る作品とは往々にして分かり易いものではないものであるという認識が、一部の例外を除きもはや老人からしか持ち合わせていないであれば、それは大変残念なことだな、と思う。いや、本当に。

日記(3月28日)

Spoon新作

https://twitter.com/SpoonTheBand/status/442564498537189376

満を持しての4年ぶり。

ポール・マッカートニー再来日

高齢のアーティストを観に行くというある種の儀式の魅力は、そのキャリアの終着点としてのそう遠くない死を対象化することでその一回性を際立たせる事にあると思うわけであるが、まぁそれは実に不埒な解釈ではあるなと自省しつつ、またディランも同じ事をして欲しくないと身勝手に思いつつ、不世出のポップ・スターの再来日の報を聞き流すのであった。

小沢健二いいとも出演

真っ昼間からとても幸福な映像を見せつけられた。あの場において新譜のプロモーションがない事は必然であった。それ以外は、どうも言葉にするのが難しい。

小沢健二には浅田彰的にはなって欲しくないというのが今となっては僕のたった一つの願いである。「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ」という成熟/未熟の両方を含意する20代半ばの彼の堂々とした宣言は、図らずも死の床に伏すその時まで彼を呪い続ける事となったわけであるが、それがまた別のあやまちであったとしても、やはりそれへの抵抗は、文化人としての場所ではなくポップ・フィールドで実践して欲しいと思うのは、恐らく私だけではないはずなのだ。