Starlings Of The Slipstream

今日もどうもありがとう ほんとにいい日だった

ジャン・ルノワールあるいは山田尚子(あるいは三好一郎)

雄弁な背景と真っ向から対峙するかのごとく度々挿入される久美子のモノローグはより散文的である必要があったし、彼女が走り出してから回想に至るまでのシークエンスは余計な音を添えず、彼女の横を無機質に往来する車のエンジン音に全てを任せても良かったと思える。とは言え、そこで大胆に用いられる平行移動したカメラで被写体を追っかけ徐々にクローズアップさせていくような手法を紋切型に否定はしないし、その一連のカットが久美子の内面に限りなく肉薄していることを見逃すほど我々は愚かではないだろう。

我々が第12話において注目せねばならないのは、他でもない久美子の日陰での練習風景である。過剰なまでの被写界深度の浅さと光と影のコントラストが支配する―――物語の中心が絶えず残酷に峻別され続けるこの『響け!ユーフォニアム』において、今の自分はその光に相応しくないと言わんばかりに一時的にそれから逃れることに成功した直後の、日陰からいま一度ユーフォニアムを吹こうとする久美子と、その視線の先にある太陽光が拡散反射した新緑を同時に捉えたあの瞬間。そして、この未来を象徴する「緑」は、椅子に座る久美子から見上げる構図で来訪者である高坂麗奈と当然のように重なり合う。中断を挟み反復として描かれる二回目の練習は、久美子の内面を反映するかのごとく、硬質的なコンクリートを背景として再開されるが、麗奈の再度の登場により再び光を取り戻し、今度は「緑」と二人が同時に収められる。その一連のカットの息を飲むような美しさだけで、我々がこの作品を擁護するには十分ではないか。