Starlings Of The Slipstream

今日もどうもありがとう ほんとにいい日だった

選ばれなかったもう一つの「H」、彼女の嘘と決意

輪るピングドラム キャラクターソングアルバム


どうしてこんなにも"魂こがして"が悲痛なまでに響くのだろうか。
覚悟を決めた男たちについて捧げられた歌が、対極となる少女いうフォーマットを通してもなお、
どうしてこんなにも世界の果てを目指すように聴こえるのか。


本来であれば、そこに存在するはずであった女の子、高倉陽毬の声は、トリプルHのメンバーとして存在し得ていない。
僕らは、この3人の女の子の中で、間違いなくこの子の声を一番聴いているはずだ。
彼女の声は、作品内と同じように、一人の少女として機能している。
しかし、トリプルHの一人はそこにいるはずなのに、確かにユニゾンしているように聴こえるのに、
彼女は"そこ"に存在していないのだ。
それはまるで、「選ばれること」と「選ばれなかったこと」の両方を体現しているかのように。


これは決して、メタ・フィクションの失敗を意味しているわけではない。
埋められるべきピースであると考えられた高倉陽毬は、その場所にいてはいけないことを知っているのだ。
それは、自分の「いるべき場所」ではないと。彼女の声は、確かにそう告げている。


いや待てよ、いるべき場所って何だ?エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス?
いや、そんなものは理想だ。幻想だ。
僕らは知っている。物事には因果がある。


“愛を隠し 愛を探し 孤独に耐えて
         "何にもなりたくない"なんてウソさ”
(Hide and Seek)


そう、僕らは嘘つきだ。次から次へと嘘で塗り固めてもなお、それを貫き続けるほどの嘘つきだ。
そして、きっと何物にもなれない事に気づいていても、「奇跡」なんていう軽はずみな言葉を信じてしまう大馬鹿者だ。

高倉陽毬は嘘つきだ。僕たちは、作品を通して、彼女の嘘をずっと聴いてきた。
そこにいる理由なんて、彼女が一番望んでいないはずなのだ。
しかし、それを捨ててもなお、彼女は今のままでいることを望んだのだ。


"でも、どうだろう?残るだろう?
          そこ、ひとつ。 君さ。君の灯り 。 "
(中村一義「新世界」)


全ては今夜、完結する。僕らは、それに向きあえなければならない。
ピングドラムとは何なのかを。「幻想が作り上げたヒーロー」を、葬り去るために。