Starlings Of The Slipstream

今日もどうもありがとう ほんとにいい日だった

6月19日

備忘録(アニメスタイル 第1号 細田守対談)

アニメスタイル細田守の話が東映への言及やら面白かったので備忘録としてのメモ

・時かけ以降は演出などのディテール重視ではなく映画(娯楽)としての本質的な部分への追求。
・その人物が最後まで搾り取られないと映画にはならない。その人の最良の時間を切り取るものである必要がある。
・イベント性としての映画と映画的体験としての映画は別物。(ゼロ年代に時かけをやる意味は後者にある。)
・映画に適した原作のページ数は100ページほど。アクションだとそれを軽くオーバーしてしまうから、原作を探す行為自体が愚か。
マキノ雅弘加藤泰石井輝男鈴木則文深作欣二……東映の作るアニメは東映撮影所が作る実写映画の強い影響下にある、品の悪いことを徹底的にやる(それが内包するエンタメ性)のが東映のカラー。プリキュアセーラームーンもその延長線上。また、その下品さの向こうに非常に気持ちの良い人物が書ける。
・家族の描き方をとっても東宝は貧乏人嫌いだから旧家、松竹は小津・山田の庶民(写実主義)、東映は任侠。新興配給独特の王道でない裏の、影の部分を背負ってきた所がアニメにも遺伝している。
サマーウォーズは東映的な作品(ヤクザ一家にも見える)。当初の着想は伊丹十三的な作風、東宝カラーだったが結果的に東映の映画になってしまった。
・共通言語を持たない人に面白さを伝える映画の本質的な部分への追求、あるいは様式化される前の面白さの提示。


今まで細田守作品にはピンとこなかったけど「東映」という要素があるだけで全てがつながった気がする。