Starlings Of The Slipstream

今日もどうもありがとう ほんとにいい日だった

氷菓

 流石にここまで来ると一言ぐらいは述べておきたくなる。
それ自体は古くから繰り返されてきた構図ではあるし自分もそういう物語が一方で好きだったりするわけだけれど、分かりやすく喩えるならばキョンとハルヒの関係――日常を他者と同じように生活を送ることを放棄している少年(というオタクが自己投影しやすいスキーム)に対して突然現れた美少女が自分を引っ張り回してくれて「非日常」を創出する――という非常に都合の良い作品。

 その構造が、更にオタクにとって"都合が良くなった"のが氷菓だ、という認識は全くその通りだと思うし、オタクはとうとう自分から去勢してしまい、可愛い女の子に振り回される体力も無くなり、挙句は頼られる事で本意ではなく「誰かのためにやっている」という無責任な志のもとに、でも実はなんでも俺は出来るんだ――というある種の幼児的万能感みたいなものをオーバーラップさせる。

キョンはハルヒと同じ土俵に立つことを物語の中で選択していったし、彼にはそれを受容する強さがあった。でも折木奉太郎には、他者が創り出してくれるを舞台を待ち、それをそつなくこなすことしか出来ない。それは、結局の所ただのポーズでしかない。ましてやヒロインである千反田えるは黒髪ロングの"お嬢様"だ、最悪だ。